日本的?

自己紹介などで、「書道をやっています」と言うと、
「『和』な感じですね」
とか
「家では着物を着てるんですか?」
とかいうことを言われたりする。
どうやら、日本的だというイメージで受け取られているようだ。

実際のところ、私は楷書がメインである流派に所属しており、楷行草隷体の中では、私自身は草書が得意なほうだ。
臨書をしてきた法帖も、『書譜』に始まり、主に草書ばかりを練習してきた。
“かな”も書けないことは無いが、作品として人様にお見せできるようなものは、作れないだろう。
だから、私の書道は日本的と言えるのだろうか、と思っている。

では、中国的かというと、そうでもない。
通っている先生の教場では、畳の部屋で正座して稽古している。
主に使っている筆は和筆だが、たまに唐筆も使う。
主に使っている墨は唐墨だが、たまに和墨も使う。
紙は和紙である。

仕事の関係上、中国の方と接する機会があった時に、書道の話をしてみた。
すると、やはり日本的だという感想が返ってきた。
その方の意見としては、今の中国の若い世代では書を嗜んでいる人は少ない、むしろ日本の方が趣味としての書道は盛んだ、だから日本的な趣味だと思う、ということらしい。
もちろん、地域差、個人差のあることなので、一概に言えるものではないとは思うが。

結局、中国趣味という日本的なスタイルなのではないか、と思っている。
例えば、1950年代のアメリカ風のライフスタイルが好きな人、北欧風のライフスタイルが好きな人、と同じように、中国的な書を嗜むというライフスタイルであり、それは江戸時代の漢籍が教養であった頃からつながってきているのではないだろうか。
もしかするともっと遡って、漢字伝来以来続いてきた、中国的なるモノへの憧れにつながっているのかもしれない。
そういった意味で、日本的ということは言えるのかもしれない。

書道と日本的なるものとの関係は、もっと考えていく必要があるだろう。

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