いただいた物、あれこれ

先生のお宅が改築することになり、荷物を整理されるとの事で、あれこれ戴く事になった。
稽古の後、今日来た弟子二人で、あれこれ言いながら選り取っていった。
先ほど、ざっと整理したところ、こんな感じだった。

・ 墨場必携の類の書籍 1冊
・ 墨 2丁
・ 筆 12本
・ 手本類 12種

筆は使ってみないと、自分に合うのかどうか判らないが、好きな長鋒を中心に戴いた。
墨も磨ってみないと判らないものではあるが、これは幾つあっても困らない。
むしろ、自分では見つけられない墨だったので、とても有難い。
磨ってみるのが、今からもう楽しみである。
書籍や手本類は、今後の作品作りに、役立てることになるだろう。

ふと思い出すと、今まで、いろんな方から様々なものを戴いている。
例えば、墨、朱泥、筆、筆架や、記念品となる作品の複製といったものである。
(全てを細かく羅列するのが目的ではないので省略する)
こうした戴き物は使ってこそ価値があるのだと判っているのだけれど、あまり使っていない、というか使うのに何か踏ん切りというか、えいっ、という気合のようなものが必要な気がする。
例えば、毎月の競書に戴いた筆を使うか、というと、やっぱり慣れた筆を選んでしまう。
展覧会の作品を制作するときに、戴いた墨を使うかというと、練習用にはもったいない気がして躊躇ってしまう。
そうして、なかなか出番が無いのだけれど、やっぱり筆も墨も、使ってこそその価値があるのだから、ちょっと使ってみるべきだろう。
大体、自分は上手くも無いのだから、良い筆であろうと、そうでない筆であろうと、慣れなければ使いこなせないのだ。

使ってみなければ判らない、という話で思い出した。
昔、青墨に憧れて、黄山松煙を買ったことがある。
だが、磨ってみると、何だか混じり物があるようで、ザリザリと音がするし、硯面に傷がついてしまった。
その上、いくら磨ってもあまり濃くならず(淡墨の作品に使うものだったのだろうか?)、自分には向かないような気がして、それ以降、使っていない。

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