最近は作品を書くのが夜中であり、家中寝静まっているので、無音で書いている。
無音と言いながらも、普通の住宅地なので、時折、遠くでサイレンが聞こえたり、家電の微かな唸りが聞こえたりはする。
それにもまして、自分自身の息遣いや、紙を滑る筆の音が聞こえている。
独身の頃は、何か音楽をかけながら、書いていたものだ。
例えばそれは有線放送だったり、FMラジオだったり、何かCDを選んで次々とかけたり。
書を書くことと、音楽を聴くことが、何らかの相乗効果を生み出すと思っていた。
音楽の持つリズムが、作品に活かされるような、そんなことを漠然と思っていたのかもしれない。
或いは、音楽を聞くことで気分が高揚し、良い作品が書けるような気がしていたのかもしれない。
だが、作品に集中していると、音が気にならなくなっている。
つまり、かかっている音楽のことなど、意識の外に追いやっている。
だからと言って、音楽をかけなくてもいいじゃないか、とは思わない。
最近は、無音で書いている、と冒頭に言ったのだけれど、逆に耳に入ってくる物音が気になっている。
とても些細な音なのだけれど、耳に入ってきてしまう。
だから、音楽をかけたほうが、自分の周りに膜のようなものができて、集中できるような気がしている。
とは言え、夜中にスピーカーから音楽をかけるのは、些か迷惑なことだ。
どうしたものかと、考えている。
無音と言いながらも、普通の住宅地なので、時折、遠くでサイレンが聞こえたり、家電の微かな唸りが聞こえたりはする。
それにもまして、自分自身の息遣いや、紙を滑る筆の音が聞こえている。
独身の頃は、何か音楽をかけながら、書いていたものだ。
例えばそれは有線放送だったり、FMラジオだったり、何かCDを選んで次々とかけたり。
書を書くことと、音楽を聴くことが、何らかの相乗効果を生み出すと思っていた。
音楽の持つリズムが、作品に活かされるような、そんなことを漠然と思っていたのかもしれない。
或いは、音楽を聞くことで気分が高揚し、良い作品が書けるような気がしていたのかもしれない。
だが、作品に集中していると、音が気にならなくなっている。
つまり、かかっている音楽のことなど、意識の外に追いやっている。
だからと言って、音楽をかけなくてもいいじゃないか、とは思わない。
最近は、無音で書いている、と冒頭に言ったのだけれど、逆に耳に入ってくる物音が気になっている。
とても些細な音なのだけれど、耳に入ってきてしまう。
だから、音楽をかけたほうが、自分の周りに膜のようなものができて、集中できるような気がしている。
とは言え、夜中にスピーカーから音楽をかけるのは、些か迷惑なことだ。
どうしたものかと、考えている。
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