残像のような




例えばそこには何も無くても、ただ名前だけが残されていると、かつてそこにあったのだということが解ってしまう。
その名前は既に意味を失っているのに、かつては意味があったのだという新しい意味が生まれて、その名前はかつての名前として新たな名前となる。
何かに名前をつけることで、それは存在する。
そしてそのものが消えてしまっても、名前だけが残ってしまう。
残った名前が示すのは、そのものではない。
まるで残像のような存在ではないだろうか。
そうしていつしか、その名前とは似ても似つかないものが存在してしまうのかもしれない。


かつてここには図書館があったようだが、その図書館には、何の思い出も無い。
しかし、ひっそりとした、人の気配の無い建物に、この文字の跡が残されていたのを発見したことで、何となく薄気味悪い建物という印象が、別の印象に変わってしまう感じがした。
文字が残されていたことで、かつての残像のようなものが立ち昇って来たのかもしれない。
それは、名前の持つ魔力によるものかもしれないが、そこに残された文字の痕跡の魔力によるものなのかもしれない。
つまり、消えかかっている名前そのものが持つ意味より、名前を表している文字が存在していることで、この建物の印象を変えてしまったのだ。
図書館であったことが印象を変えたのではなく、図書館であったことを示す文字があったことが、印象を変えさせたのだ。
おそらく、図書館でなくとも良かったのだ。
すなわち、名前は交換可能であった。
だが、この残像のような文字ではなく、ただの落書きだとしたらどうか。
それで印象が同じだとは言い難い。
すなわち、文字の存在は交換可能ではない。
それが、この文字の痕跡の魔力を端的に表している、と思うのである。

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