下書きというもの

冬の展覧会が終わると、梅が咲き、桜が咲いたかと思うと、あっという間に、夏の展覧会の準備を始める時期になる。
大抵、年度替わりの慌しさに感けて、準備が遅れてしまう。
そして今年もまた、準備が遅れた。
毎年のことなのだけれど、どうにもタイミングが宜しくない。
選文と、字書を引くところまで終わっていたのだが、下書きを書き出せずにいた。
私の場合、下書きは字書を引きながら、反故の紙に小筆などで書きつけている。
実際の大きさの紙に書く前に、ざっと草体で書いてみて、字面のバランスや連綿のあたりをつけてみる。
だがこの過程がなかなか時間がかかる。
今では、反故の紙に書きだした後は、それを見ながら実際の紙に書き出してしまうが、以前は、それから別の紙に縮小版を作っていたこともある。
つまり、二段階の下書きを行っていたのだ。
さすがに時間が掛かり過ぎるし、そこまでやらなくても、あたりが付けられるようになったので、今はもうやっていない。
今年は、この下書きが終わっていなかったので、慌てて下書きを作り、二八の紙に書き出したが、どうにも上手く収まらない。
字面のバランスも、連綿も、見せ場も、何かしっくり来ない。
たかが下書きと思っていても、実際のところ、書きながら頭の中に作品の要素を記憶しているようだ。
下書きでああでもない、こうでもないと思いながら書くことで、作品のイメージの練っていたようだ。
今年の作品はどうなることか。
まだイメージが出来ていない。

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