贋作さるかに合戦

書とは関係ないが、どこかに発表するあても無く書いて放っておいたのを、改めて手を入れてみた。

まず、出来事をおさらいする。

猿と蟹が、柿の種とおむすびを交換した。
猿はおむすびを食べてしまったが、蟹は柿の種を育てて柿の実を実らせた。
猿は柿の実をもいで食べてしまった上に、柿を蟹にぶつけ殺してしまう。
子蟹たちが、栗、蜂、臼、牛糞に訴えて敵討ちを行い、猿は死んでしまう。

柿の種とおむすびを交換することに、猿と蟹が合意したのはなぜなのか。
一見、等価価値では無いものを、交換してしまうのはいかなる理由によるのか。

猿の論理はこうだ。
柿の種では、いずれ実がなるかもしれないが、芽が出るとも限らない。
将来のリスクを抱えたまま、空腹を耐えることなど出来ない。
安全確実なおむすびを手に入れて、飢えをしのぐべきだ。
8年後に成るかもしれない柿の実を収穫するまで、いったいどうやって飢えを満たせばいいのか。
今この瞬間の俺の空腹は、満たされている奴らから手に入れるしかないだろう。

蟹の論理はこうだ。
柿の木が育てば、今の何倍もの利益を手にすることが出来る。
おむすびは食べてしまえば無くなるが、柿の実は継続的に収穫できる。
余った柿の実は干し柿にすれば保存も効く。
いずれ木を増やせば、農園オーナーも可能かもしれない。
水辺から離れなれない水棲生物としての運命は、柿の木の栽培によって変えることが出来るかもしれない。

つまり、猿と蟹は現在と未来を交換したのだ。

猿にとっての問題は目下の空腹であり、おむすびによって満たされることは、解決の一手段に過ぎない。
おむすびがあれば食べるし、柿の実があれば捥いで齧る。
今ここにある空腹は、何を引き換えてでも、満たさなければならない。
悪魔が命と引き換えにおむすびを持っていたとしても、猿は嬉々としてサインしただろう。

一方、蟹にとっての問題は、将来発生しうる利益なのだ。
おむすびをどう捻くろうが、おむすび以上には成りはしない。
それにひきかえ、柿の種は育てれば何倍、何十倍の利益を生み出す可能性という魅力がある。
1より10、10より100、可能性は大きければ大きいほど良い。
それが実現するかどうかは問題ではない。
この株は何十倍にもはね上がるなんて話を持ちかけられて、たとえそれがインサイダー取引の疑いがあろうと、蟹は嬉々としてサインしただろう。

この話の教訓とは何か。
旨い話はそうそうない、ということか。

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