ダダ100周年 - 100 ans de Dada

たまには、書とは別のことを書いてみる。
今年はダダが誕生して100周年だそうな。
スイスのチューリヒのキャバレー・ボルテールが、若い芸術家たちの発表の場として生まれ変わり、前衛芸術の拠点となったのが1916年2月だった。

そもそもダダって何?という方は、ちょっとこんな動画が雰囲気が伝わるだろうか。




ダダという言葉自体は、赤ちゃんをあやす言葉だったと思う。
その意味の無い言葉を旗印に、あらゆる既成の価値観を否定をする芸術運動がダダイズムであった。
音響詩と呼ばれる言葉ですらない響きだけの詩、既成の絵や写真を切り貼りしまったく別のものにするコラージュ、その他、既に一般的になった、パフォーマンスやハプニングといった、現代芸術の概念の始まりがダダである。
こちらはキャンペーンの公式動画っぽい。



既成の芸術が強固であるが故に、否定に意味がある。
言葉を否定し、美を否定し、劇を否定し、そこから新しい表現が生まれた。
そして、国境を越え、スイスからドイツ、フランス、アメリカと伝播する。
もちろん、日本でも1920年代にダダが巻き起こる。
ダダは否定の運動であり、既成の表現形式を否定したのだが、その延長にシュルレアリスムが登場し、表現そのものを否定し、無意識に身を委ねようとする。
やがてどちらの運動も廃れて行き、やがて古いものとして否定され、忘れられてしまう。
だが、ダダは1950年代以降にネオダダとして蘇る。
日本では赤瀬川原平らのネオダダ・オルガナイザーズも知られている。

21世紀の今、20世紀のダダをそのままに踏襲することに意味はない。
ただ100周年として回顧するのでは、ダダが否定した古典美術と同じ文脈に陥っている。
どうやら、夏ぐらいにイベントもあるらしいので、ちょっと気になる。
前衛とか古典とか、学校で習うような美術史の遠近法から離れて、書とダダの関係性を考えてみるというのも楽しそうだ。

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