つれづれに

コロナ禍という言葉もだいぶ定着し、満員電車で通勤しない日々が続いている。
時事ネタを書くのは性に合わないのだけれども、各展覧会が延期になり、美術館/博物館が閉鎖されてしまい、活動の何割かが制限されてしまう。
それだけならまだしも、書道用品店までもが営業を自粛してしまい、紙や墨が手に入らない。
今までの在庫が少しはあるが、この状況がいつまで続くのか分からず、使うのを躊躇っている。
では、少しでも眼学の足しにしようと、「故宮歴代法書全集」を開いてみる。
30冊もあるので時代と形態(巻、冊、軸)を選ばないといけない。
また、繁体中国語なので解説は何となく分かるが、解説の細部までは読み込めない。
そんなことはともかく、1冊を手に取る。
最近は元代の草書が気になっている。
元はモンゴル族が中国の王朝を支配した時代である。
民族と文化の捻れが、当時の書の中に何か影響があるかというと、恐ろしいくらい見当たらない。
むしろ、宋代の書よりも、晋代・唐代の書に近い印象がある。
何故そのようなことになるのかは、ちょっと時間をかけて調べてみたいと思っている。
書体の歴史は、政治の歴史とは異なった何かがあるような気がしている。
書体も一つのコードとして考えると、コードの変遷と伝播があるのだろうと思う。
そしてコードの体系が一つである保証もなく、複数のコードが絡み合っている可能性もある。
いま見ている「故宮歴代法書全集」は、中華王朝に連綿と伝わった一部であり、漢字には碑文や帛書といった法書に含まれないものも多数存在する。
話が広がりすぎて収拾がつかなくなり、とりとめが無くなってしまうが、元代の書というものにちょっと興味が向いている。
今日はこの辺で。

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