何かが写っている(かもしれない)

旅行とか出張とか、何かの用事で家でないどこかに泊まるときに、部屋の写真を撮る。
特に理由は無いのだけれど一枚撮っておく。
フィルムカメラを使ってた頃からやっている。
何が写ってるわけでもないけれど、何かが写ってないか、どこか期待している。
写真の隅まで目を凝らして見ても、目に見えない何かがこっそり写り込んでいるわけではない。
何で写らないんだろう、って考える。
もちろん何かがそこにあるかどうかは分からないけれど、写真を撮れば何かが写るはずと考えている。
そこには、写真には目に見えないものが写るとか、録音すると耳に聞こえないものが記録されるとか、新しい優れたテクノロジーが人間の感覚を超えるっていう考えがある。
人間の生み出した技術が、人間のスペックを超えて世界を探索する、ということだ。
確かにロケットを飛ばし、月の裏側の写真を撮るということは、そういった考えを具現化していると言えそうだ。
より優れた技術をもって、今見えている身の回りを探索すれば、まだ見えていないものが存在している、と考えてしまうのだろうか。
そもそも目に見えるとはどういうことなのか。
眼に入った光を網膜で受け取り、その情報を脳で判断している。
脳で処理するときには、色や形、今まで見たことがあるもの、抽象的な概念から、見たいものを見ている。
いつも全てを等しく見ているわけではないのだから、写真に撮った場合、その時には気づいていなかった何かが見えてくるかもしれない、そういう考え方だろうか。
それでも、見えると見えないの境界は、見ている人に依るのだから、写真に撮ったら見えてないものが見えるようになると考えるのは、矛盾していないだろうか。
テクノロジーを生み出したのも、テクノロジーに超えられたのも人間なのだから、やっかいな言い草で、それでも写真には写ると言い張ることは、もはや信仰の問題なのではないか。
目に見えなくても、写真ならば写るはずだと考えてしまうのは、テクノロジーに対する信心なのだろう。
何も写っていないのは、写真に対する信心が足りないからなのだろう。

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