犬の鼻、鳥の目、馬の脚

ある朝起きたら、自分の鼻が犬の鼻になっていたら、と考える。
人間の1万倍で匂いが伝わってくる。
いつも通っている通りはどんな感じになるのだろう。
生垣の向こうの花の匂い、ごみ集積所の生ごみの匂い、どこかの家のトーストと目玉焼きの匂い、すれ違った人の体臭、散歩中の犬の匂い、今まで何とも思わなかった風景から様々な痕跡が匂いとして立ち上がってくる。
見えるもの以上に、沢山の匂うものが存在して、感覚が混乱する。
むしろ、匂いを頼りに何かを見ることになるのではないだろうか。
犬のように鼻を鳴らしながら世界を捉えて、そこから見るものを選別してゆく。
匂うものは存在するし、匂わないけれど見えるものは存在などしない。
では、幽霊はどんな匂いなんだろうか。

見えるものが全てだというなら、鳥のように体の両側が一度に見える目になっていたらどう見えるのだろうか。
人間はおよそ100度の範囲でしか見えていない。
鳥のように体の両側についていたら、少なくとも270度ぐらいは見えるのではないか。
だが両眼視できる範囲が狭いので、立体的には見えず、絶えず移ろいゆくパノラマビジョンみたいなものか。
距離がつかめないから、車の運転は避けた方が良いだろう。
視界が広いから、会議中の居眠りはすぐばれるだろう。
夜に見えにくくなるのかは、スペック次第だろうか。

馬の脚で走れたら気持ち良いのだろうか、と考える。
まるでケンタウロスのように、上半身は人間の感覚で下半身が馬の運動能力だとしたらどうだろう。
走ることの快感は人間よりも高いのではないか、と想像すると、少なくとも、早く走るための車は必要ないだろう。
長距離を移動するための手段は何か必要かもしれない。
通勤ラッシュ時は蹄の音がビル街に響き渡ると想像すると、ちょっと愉快ではないだろうか。

UnsplashK. Mitch Hodgeが撮影した写真   

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