ノイズの海

かつて、チューナーでFM放送を聴くには、ダイヤルを手で回して周波数を合せていた。
ゆっくりとダイヤルを回していくと、ノイズは微かに変調し始めて、やがて声のかけらのようなものが聞こえてくる。
不明瞭な音がやがて明確になり、放送をキャッチする。
それはまるで広大なノイズの大海の中に浮かぶ、小さな孤島にようやく辿り着いたかのようだ。
ところでノイズには2つの種類がある。
どの周波数も均等に出力しているホワイトノイズと、周波数と出力が反比例しているピンクノイズである。
波の音、滝の音、雨の音はピンクノイズに近い。
かつての地上波TV放送終了後の砂嵐はホワイトノイズに近い。
ノイズは何も意味しないけれど、何もかもが含まれている両義的な存在だ。
何者でもなく、同時に全員でもある。
Zeroにして無限。
東京タワーがメンテナンスのため電波を閉ざす日曜日の夜中は、ノイズで上空が満たされる。
そのノイズの向こうから微かに聞こえてくるのは、中国語か、朝鮮語か、それともロシア語か、英語か、あるいは延々とカウントされる数字か。
なんと果てしない空虚の豊饒な時間であったことか。
それに比べて無音室の中に拘束された人は、自分の鼓膜の振動する音、血管を流れる血液の音、呼吸が立てる微かな風の音、自らの発する音にだけ満たされ続けているうちに空虚の中に落ち込んで、やがて狂気へと追いつめられるという。 
たまにはノイズに耳をかたむけてみようかと思う。

UnsplashRay Zhouが撮影した写真   

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