「呉昌碩の世界」展(東京国立博物館、書道博物館、朝倉彫塑館)と散歩

呉昌碩は清末の文人で、日本との交流も深い。
例年の東京国立博物館と書道博物館が連携する展覧会なのだけど、今年は朝倉彫塑館と兵庫県立美術館も含めて、4館の連携展となっていた。
さすがに兵庫までふらっと行けないので、残り3館を訪ねてみた。
予定より少し寝坊したのだけれど、午前中に知り合いの先生の展覧会を拝観してから、ぶらぶらと呉昌碩の世界へと観に行ってみた。
まずは、東京国立博物館東洋館4Fへ。
こちらは呉昌碩の書画に焦点を当てているのみならず、同時代の書画、交流のあった書家の作品も展示されている。
普段は楷行草書を書くので、篆書や隷書がとても新鮮で、自分でも書いてみたくなる。
小一時間ほど見てから外に出る。
ソ連製のJupiterレンズで、絞り解放で庭園の羊の石像を撮ってみた。
デジカメの液晶画面のピント合わせに慣れてない上に、老眼で良く分からないので、半分勘で合わせた。
これは国立博物館の門柱にあった新年の飾り。
白い椿にピントを合わせて、前後にある千成の実は上手くぼけただろうか。
ぶらぶらと歩いて科学博物館のクジラの尾にピントを合わせてみる。
黒いのでピントが合っているのか良く分からない。
上野の山を下りて、鶯谷へと向かう。
両大師橋の上から線路の写真を撮ってみたが、見事にピントを外していた。
自転車と共用の狭い歩道とは別に、歩行者専用の階段があって吸い殻や酒の空き缶が散乱してて、子供の頃の上野の雰囲気が残っている。
上野郵便局の前を通り過ぎて、線路沿いに歩いていく。
急に道が細くなって通り抜けられるのか不安になるが、前から歩いてくる人がいるので問題ないだろうと進む。
生垣に咲いていた椿を撮ってみる。
絞りは開放のまま、半分勘でピントを合わせる。
路地を抜け、鶯谷のラブホテル街の中にある公園の公衆便所で用を足した。
手洗い場にストッキングに入った石鹸らしきものがあったけれど、さすがにこれは試せない。
昼下がりの公園で、それぞれが自分のスマホを眺めている数人の男女は何をしているのか。
ラブホテル街を抜けて、書道博物館に着く。
書道博物館は呉昌碩が手本にした石鼓文の拓本や、沈氏研林に収められた硯の拓本と実際の硯、呉昌碩が彫った富岡鉄斎の雅印などが展示されている。
特に硯にはフェティッシュな魅力があるので、沈氏研林の拓本と実物の硯の展示は面白い。
書道博物館は、やはり拓本が中心の展示となっている。
小一時間ほど拝観して、庭園に出る。
桜の葉は落ちているけれど、既に蕾は膨らみ始めている。
これはピントが合わせ易かった。
書道博物館の裏の方の路地をぶらぶらと歩いて、日暮里方面へと歩いていく。
そういえば歩いたことが無かったなぁ、ときょろきょろしながら歩く。
隙があったら線路の向こうに渡りたいと思って路地毎に覗いてみるが全くない。
考えてみれば線路の向こうは谷中墓地なので、そんな橋を架ける理由など無いのは当たり前である。
途中に羽二重団子があったが、寄らずに通り過ぎる。
やがて日暮里駅に着いたが、数十年ぶりに見た日暮里駅は全く印象が変わっていた。
記憶にあるのは、幼い頃に小岩の祖父の家から帰ってきた時の駅前ロータリーで、光化学スモッグのppm情報を覚えていたのだけれど、そんなものはもう無い。
跨線橋を渡り、谷中の方へ出て、朝倉彫塑館へと向かう。
前の会社に勤めていた頃、何度も前を通ったことがあったのだけれど、初めて訪れた。
そもそも、彫刻にはあまり興味が向いてなく訪れる機会も無かった。
ここは、彫刻家の朝倉文夫氏の家を改装した美術館である。
家を改装しているからか、靴を脱いで拝観する。
上がるとまず入るのが、アトリエを改装した展示スペースである。
代表作の彫刻が並んでいる。
いつも書画に親しんでいると気づかなかったのだけれど、彫刻というのは三次元で、目に見える正面だけじゃなく、背面まで作られている。
それと、リアリスティックに作られているけれど、縮尺は必ずしも原寸大ではない。
アトリエ内にあった巨大な大隈重信像は笑いそうになった。
天井は高く、良く陽が入りそうな明るいアトリエで羨ましい。
隣は書斎で、高い天井までの本棚に様々な本が詰まっていた。
この辺りから呉昌碩の扁額やブロンズ像の石膏型、同時代の南画などが飾られている。
玄関、中庭、寝室、そして階段を上がって素心の間、朝陽の間、そして屋上庭園まで上がれる。
玄関前から撮った彫塑を背後から撮影。
前を通っていた時からこれをやってみたかった。
ところで朝倉文夫氏は4枚の写真から呉昌碩の像を作成している。
それがきっかけで交わされた二人の交流や、日本家屋内という風景の中で呉昌碩の軸を掛けていたり、国立博物館や書道博物館とは違った展示が楽しめた。

館内は撮影禁止だけれど、唯一撮影可能な蘭の間には、猫の彫塑が並んでいた。
靴を脱いで歩き回る美術館というのも新鮮だった。
観終わって外に出ると、もう日が暮れかけていた。
気がつけば、ふらふらと5時間以上歩き回って、足が痛くなっていた。




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