国立西洋美術館から東京国立博物館(の庭園)

呉昌碩展が3月までだったと思い出し、最後にもう一回観に行くかと、浅草橋からめぐりんに乗る。
台東区役所から昭和通りを越えて、上野駅を抜けるためにエスカレーターでパンダ橋をめざす。
マルイ前の歩道橋の上ではバンドが路上ライブしている。
もうエスカレーターに乗ってしまったので、姿は見え隠れしているが、音は聞こえてくる。
パンダ橋の上では、ガーデニングのイベントをやっていた。
上野は相変わらず人が多い。
大きなスーツケースをいくつも転がしている家族、スケボーで滑っている中学生男子、コンビニ袋に生活用品っぽいものを詰めて歩いているおじさん、連れ立って歩いているご婦人。
いつものように上野駅公園口の前から動物園の方向へ歩くと、ル・コルビュジェの設計で世界遺産に指定された国立西洋美術館がある。
前庭の彫刻を写真に収めてみる。
今日のレンズは、旧ソ連製のJupiterで、開放からやや絞ってみる。
考える人の背中から当たっている陽のハイライト部分と、陰になっている足先まで上手く撮れた。
ちょっと色彩は淡い。
(他の彫刻の写真はいまいちなので割愛)
出ようと思ったら、川崎重工提供で常設展が無料で観覧できる。
国立西洋美術館に入館した記憶があまり無くて、恐らく小学生の時に「モナ・リザ」を観たのが最後かもしれない。
と思っていたのだけれど、家にある展覧会の図録を見たら、1984年にマウリッツハイス王立美術館展で訪れていて、フェルメールの「青いターバンの女」を観ていた。
しかも、モナ・リザの日本公開は1974年に国立博物館だったことが、NHKのアーカイブで判明した。コチラ
それはともかく、良い機会なので観覧することにした。
入るとロダンの彫刻から始まり、15世紀から20世紀に至るの西洋絵画がずらりと並んでいる。
その大半が川崎重工の前身、川崎造船所の社長、松方幸次郎氏がヨーロッパで収集したコレクションがベースになっている。
フランス政府によって第二次世界大戦時に差し押さえられたコレクションを、戦後、寄贈返還を受けるために設立されたのが国立西洋美術館の始まりということだ。
建物自体の造りもちょっと面白く、絵画の展示スペースはオープンな雰囲気であり、時折、入口や階下が観れるバルコニーのようなスペースがあったりする。
西洋美術史の知識は、高校の美術の授業程度しかないので、画題やモチーフや隠喩などをすべて理解できたわけでもないけれど、それなりに楽しめた。
名前を知っている程度だが、クラナッハ、ルーベンス、ロダン、マネ、モネ、クールベ、セザンヌ、ドガ、ルノワール、ピサロ、ロセッティ、モロー、ムンク、ルオー、ピカソ、ミロ、といったところだ。
ギュスターヴ・モローの「牢獄のサロメ」、ホアン・ミロ「絵画」の2点のオリジナルが観れたのが良かった。
こんないつでも見に来れそうなところに展示されていたとは知らなかった。
そして、特集として「真理はよみがえるだろうか」と称して、ゴヤの「戦争の惨禍」全点が展示されていた。
版画は小さくて細部まで見えないので、メガネを持ってくればよかった。
こちらは、5/27までの展示らしい。
たっぷり1時間ほど満喫して、国立博物館に向かった。
呉昌碩展は3/17までなので、ちょうど見納めのタイミングであった。
西洋から東洋へ、しかも19世紀中国、清朝末期へ、色彩から線へと脳みそを切り替える。
一通り眺めて、日が暮れないうちに庭園に向かう。
Jupiterレンズの写りを確かめたく、様々なものを撮ってみる。
こちらは「内国勧業博覧会碑」。
明治14年に第2回が開催されたのを記念して建立されたとのこと。
彫が浅いのでどこまで写真に収められるか試してみた。
こちらは裏口?にある小屋にかかっていた看板。
絞りを開放にした時の赤がどんな発色になるのか、被写界深度がどれくらいか試した。
NOは完全にボケて、Gから煙の右辺りに、ピントが合っている。
日陰で間接光でも鮮やかに撮れた。
光の当たっているところと当たっていないところが分かるような構造物として、灯篭を撮ってみた。
絞り込んだのだけれど、ピントを外している気がする。
光の当たっているところより、当たっていないところのほうが発色しているような気がするのは、もう少し絞りを考えた方が良いかもしれない。
水面に映る空と水鳥を撮ってみたけれど、ピントを外しているような気もする。
さざ波の立っている水面の写りが良かった。
正門前にある羊の彫刻を、逆光で撮ってみた。
絞りを開放気味にしてピントを合わせたけれど、手前の羊の頭に上手く合っているだろうか。
逆光だと全体的に白っぽくなるような気がするのは、測光している部分のせいでオーバー気味なのだろうか。
合計で20,000歩ほど歩いた。

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