小学生の夏休みの宿題と言えば、日記と読書感想文と自由研究だろうか。
自由研究と言えば、水の中にチーズを入れて、微生物の発生を観察する、というのをやった覚えがある。
買ってもらった顕微鏡をフル活用して、2学期に廊下に張り出して発表するぐらい褒められたけれど、その後、その顕微鏡はどうしたか覚えていない。
読書感想文は、いわゆる名作を読まなかったので、褒められた覚えも無い。
遠藤周作の狐狸庵先生もののエッセイとかじゃなかったかと思うけれど、小学生が読んで何が分かっていたのか、はなはだ怪しい。
日記は更にひどくて、「何もなかった」「暑かった」「ひまだった」を連発して、先生に呆れられた記憶がある。
そんな子供でも大人になったら、こうしてブログを書いたりできるのだから、少しは知恵がついたのだろうか。
とはいえ、不定期に思いついたことしか書かないブログと、毎日書き続ける日記は根本的に何か違う。
たぶん書くことがあるとか無いとかいう次元とは別のところで、日記は書かれるべきなんじゃないかと思っている。
有名な作家のだと、夏目漱石、永井荷風(一部だけ)、種田山頭火といった辺りを読んだ記憶がある。
ともあれ日記は書くことに意味があって、書いた内容には、あまり価値は無いのだろうと思っているが、日本の中世、近世辺りの歴史研究は、側近や家来の日記から武将や公家の動きを読み取っているらしい。
織田信長自身が「本能寺に火つけられた」などと書き残している訳が無い。
日記は書き続けることに意味があるとしたら、今さらチャレンジしてみるのも面白いかもしれないと思った。
小学生じゃないんだから、まさか3日坊主じゃ終わらないよな、という自分へのプレッシャーもある。
そして、書き終わるまでは生き延びようと思っている。
コメント
コメントを投稿